満員電車で座れなかったとき、僕の中で勝手に始まるゲームがあります。
「目の前に座っている人は、どの駅で降りるのか」予想ゲームです。
もちろん、本人に聞くことはできません。
顔つき。
服装。
年齢。
持っている荷物。
スマホの見方。
あらゆる情報を材料にして、
「この人は、たぶん渋谷で降りる」
と予想します。
根拠はありません。
完全に雰囲気です。
そして、不思議なことに、
「この人は絶対に渋谷で降りる」と確信した人ほど、まったく降りません。
なぜか「渋谷で降りそうな顔」がある
朝の満員電車。
座席の前に立った僕は、目の前に座っている人を見ながら考えます。
若そう。
服装も何となく都会っぽい。
スマホを見ている雰囲気も、どことなく渋谷っぽい。
「これは渋谷で降りるな」
もちろん、何をもって渋谷っぽいのかは、自分でも分かりません。
そもそも、
渋谷で降りそうな顔とは、どんな顔なのでしょうか。
それでも、自分の中では妙な確信があります。
電車が渋谷へ近づいてくる。
そろそろスマホをしまうのではないか。
荷物を持ち直すのではないか。
少し前のめりになるのではないか。
こちらは、本人以上に降りる準備を待っています。
そして渋谷に到着。
ドアが開く。
周囲の人が一斉に動き出す。
しかし、目の前の人は微動だにしません。
普通にスマホを見続けています。
降りないんかい。
勝手に期待していただけなので、相手には何の責任もありません。
それでも、少し裏切られたような気持ちになります。
上司から教えてもらった「三軒茶屋理論」
以前、同じ路線を使っている上司と、電車でどうすれば座れるのかという話になりました。
すると上司から、
「若い子が座っていたら、三軒茶屋で降りるよ」
と教えてもらいました。
なるほど。
確かに三軒茶屋は、若い人も多そうです。
長年同じ路線を使っている上司が言うのだから、これは信頼できる情報かもしれない。
僕の中に、新たな攻略法が加わりました。
若い人の前に立つ。三軒茶屋まで待つ。空いた席に座る。
完璧です。
これで通勤時間を少し楽に過ごせます。
ところが、実際に若い人の前に立ってみても、三軒茶屋では全然降りません。
スマホを見たままです。
何なら、まだまだ目的地は先という落ち着きすら感じます。
心の中で、
「上司、降りないじゃないですか」
と思いました。
もちろん、上司も統計を取ったわけではありません。
おそらく長年の経験から生まれた、独自の感覚です。
そして、その感覚も僕の顔予想と同じくらい当たりません。
降りる駅は顔に書いていない
冷静に考えれば当然です。
若いから三軒茶屋で降りるとは限りません。
おしゃれだから渋谷で降りるとも限りません。
スーツを着ていても、勤務先はどこにでもあります。
寝ている人も、本当に眠っているのか、降りる駅の直前に目を覚ますタイプなのか分かりません。
スマホをしまったからといって、降りる準備とは限りません。
ただ動画を見終わっただけかもしれません。
荷物を持ち直した人を見て、
「来た!」
と思ったら、座り方を変えただけということもあります。
判断材料がありそうで、ほとんどありません。
結局、座っている人の降車駅を見た目で当てるのは、かなり難しいのです。
席に座れるかどうかは、ほぼ運
満員電車で座れるかどうかには、何か攻略法があるような気がします。
この年代の人を狙う。
この服装の人を狙う。
ドア付近を気にしている人の前に立つ。
しかし、いろいろ考えた結果、今のところ一番有力な結論は、
ほぼ運です。
たまたま早く降りる人の前に立てれば座れる。
長距離移動する人の前に立ったら、最後まで座れない。
それだけです。
むしろ、必死に考えれば考えるほど、
「この人は渋谷で降りるはず」
という自分の予想に期待してしまいます。
外れたときの疲労感まで増えるので、余計なことは考えない方がいいのかもしれません。
それでも今日も予想してしまう
そうは言っても、目の前に誰かが座っていると、やはり考えてしまいます。
この人はどこで降りるのか。
次の駅か。
大きな乗換駅か。
もしかしたら、もうすぐ立ち上がるのではないか。
そして、相手のちょっとした動きを見逃さないように、さりげなく観察します。
ただ最近は、
座っている人の顔をじっと見ながら降車駅を予想している自分の方が、少し怪しいのではないか
と思い始めました。
相手からすれば、
「この人、さっきから何でこっちを見ているんだろう」
という話です。
渋谷で降りるか。
三軒茶屋で降りるか。
それ以前に、あまり人の顔を見過ぎない方がよさそうです。
というわけで、今日も余計な予想はせず、おとなしくつり革を握ろうと思います。
たぶん数分後には、
「この人、次で降りそうだな」
と考えていると思いますが。


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